Lê Hoàn:皇帝となった将軍
980年に龍袍を受け、981年に宋軍を撃ち砕いた将軍。史書と画面のあいだにいる、シリーズの Lê Đại Hành。得たものと守ったものは、同じ二年の両側にある。
登場人物
十二使君を討ち、国に名を与えた男。だが979年、宴の夜に治世は終わり、史書は一人の殺害者を名指しする。シーズンIの答えであり、シーズンIIが始まる前に死んだ創設者の物語。

Đinh Bộ Lĩnh はシリーズのなかで奇妙な位置を占めている。彼はシーズンIの問いへの答えであり、同時に、シーズンIIの物語が始まる前にすでに死んでいる人物でもある。「十二に割れた地を一つにするほど、強いのは誰か?」と第一シーズンは問う。968年までに、その答えは名前と称号と新しい国号を得る。そして979年までに、同じ問いが、彼の亡骸の上でふたたび口にされる。
史書が記すのは三つの項目である。968年、Đinh Bộ Lĩnh は十二使君を打ち破り、玉座に就き、国を Đại Cồ Việt と名づける。979年、宴の夜が終わるころ、王――史書が Đinh Tiên Hoàng と呼ぶ人物――とその長子 Đinh Liễn が宮中の庭で殺されている。史書は殺害者の名を挙げる。Đỗ Thích である。六歳の子が跡を継ぎ、その母が太后となり、将軍 Lê Hoàn が摂政となる。980年、皇帝の衣は Lê Hoàn の手に渡る。
シリーズのシーズンIの概要は、史書が圧縮している状況を補う。Ngô 朝が崩壊し、国は十二の領地に割れ、Hoa Lư の洞窟から Đinh Bộ Lĩnh が一人の敵を従え、もう一人を打ち破り、そして、ようやく自らを信じ始めたばかりの王国の上で即位する。登場人物欄が彼に与える役はただ一つ、「Vạn Thắng Vương」、それがシーズンIとIIを通じて続く。
それ以上を、引用される記録は語らない。誕生も、少年時代も、十二の戦の顛末も、宮廷の様子も記されていない。洞窟はそこにあるが、年月はない。
シリーズの登場人物欄で彼を呼ぶ名前は、勝利の称号 Vạn Thắng Vương であり、シーズンIの最終話がその名を戴いている。記録はそれがいかにして得られたかを説明しない。シーズンの各話タイトルは一つの形を描き出す――「帰順する者たち」「双頭の蛇」「高い城壁、深い濠」「最後の使君」――が、話のタイトルは物語の一部であって、史料ではない。
より難しい解釈は979年にある。史書は Đỗ Thích を名指しする。近代の歴史家はそれを疑問に付し、摂政や太后の関与を提案してきた。記録の名指しが生き残ったのであり、後代の史書に記された一つの名前は、証明と同じではない。サイトのシーズンIIの問い――「王を殺したのは誰か。そして、誰が利を得るのか?」――は、記録が残した疑いを、そのまま記録の場所に留めている。シリーズ自身の素材は殺害者を名指ししない。問うだけである。
979年が政治上何を意味するかは、さらに鋭い。968年に一人の男の軍事的成功によって生まれた国が、十一年のうちに、六歳の幼帝、太后、そして摂政へと引き渡される。それこそが、シリーズが繰り返し立ち返る不安定さである。剣でつくられた統一は、自動的に継承されるものではない。シーズンIの一節――「ようやく自らを信じ始めたばかりの王国」――は全弧を読むための視点であり、史書の一文ではない。
彼の登場人物タグはシーズンI – II に及ぶ。シーズンIは966–968年、「王なき地」から「Vạn Thắng Vương」までの八話。シーズンIIは979–981年で、彼の死から幕を開ける。宴の夜、継承、龍袍、そして戦争。彼の物語はしたがって二つの半に分かれて語られる――国を得る半と、国を失う半とに。そのあいだの十一年の治世は、シーズンとシーズンのあいだに落ち、サイトが公開している素材のほとんど外にある。
このページのスチルは彼を写していない。写っているのは、高く設けられた玉座に座る淡い衣の幼子と、ひざまずく甲冑の男たち――彼が遺した宮廷であって、創設者の肖像ではない。シリーズには Đinh Bộ Lĩnh のスチルはなく、このページもそれを装わない。
ここで記録の位相が変わる。以下のすべては hư cấu(創作)であり、スタジオもそう明言している。
Đinh Bộ Lĩnh はシリーズに最初の答えと最初の沈黙を与える。彼は968年に国をつくり、979年には後代の史書が殺害者の名を挙げ、近代の歴史家がその名を疑う。シリーズはその両方を同じ方法で扱う。形成の過程を描き、殺害は記録自身が突きつける問いとして残す。生き残った唯一の記述が、のちの時代に、自らの世紀ゆえに慎重にならざるを得なかった人々によって書かれたとき、創設者とはこういう姿をしている。